タイ・チェンマイでハーレムを築いた玉本敏雄

タイ・チェンマイで少女11人を現地妻にした日本人男性をご存知だろうか?

彼の名は玉本敏雄。

1971年1月、タイ・チェンマイからワイドショーニュースが飛び込んできた。なんと日本人の玉本敏雄が11人の少女を現地妻にし、ハーレムを築き、幼女人身売買で逮捕されたというのだ。

テレビ・週刊誌は大騒ぎで現地に飛んだが、玉本敏雄は現地では意外にも好意的だった・・・。

ということで今回はタイ・チェンマイでハーレムを築いた日本人・玉本敏雄についてまとめた。

カンボジアからも強制送還された玉本敏雄は今、どこで何をしているのだろう?

玉本敏雄のプロフィール

タイは世界有数の観光立国であり、日本人にも人気が高い。近年はロングステイ先としても注目を集め、当地で悠々自適の余生を過ごす年金老人も増えている。気候温暖で物価は安く、美女の多いタイは日本人男性にとって「楽園」といえるだろう。そんな南国の楽園生活の先駆者ともいえる存在が玉本敏雄だ。

1970年代初頭、タイ北部のチェンマイで幼い現地妻11人と暮らしていた御仁である。年配の方にはどこか懐かしきを憶える名前ではなかろうか。

 

画像:玉本敏雄

タイ・チェンマイでハーレムを築いた玉本敏雄

玉本敏雄は大学卒業後、銀行勤務を経て砂利採掘会社の社長に就任、東京五輪の建設ブームや万博景気に乗って稼ぎまくり、30代にして財を成した。しかし、忙し過ぎる日本が嫌になり、砂利で儲けた金で世墨周旅行へ出発。







この旅行で立ち寄ったタイ・チェンマイがすっかり気に入った玉本敏雄は、1969年、チェンマイに住む1人のタイ人女性と結婚したのを皮切りに、周辺の農村地帯の若い娘11人と次々に結婚。そのうちチェンマイ市内に家を借りて、幼な妻たちとの奇妙な同居生活が始まった。

こうして南国で金にモノを言わせてハーレムを手に入れた玉本敏雄。よほど居心地が良かったのか、次第にタイ移住の意志を固め、永住ビザを申請したという。

ところが1971年1月、密告によりチェンマイ警察に「幼年者の人身売買」の容疑で逮捕され、ハーレムはあっけなく崩壊。加えて、多数の幼な妻との同居生活が日本のマスコミに大々的に報じられた。そして「日本の恥!」とさんざん糾弾された挙句、タイから永久追放処分を食らい、日本に帰国後は麻薬取引に絡んだ容疑で逮捕、有罪となり、懲役5年の刑が確定。南国の楽園から一気に監獄に堕ちたのだった。

カンボジアに移住するも強制送還へ

そんな玉本敏雄が再びマスコミを賑わしたのは2001年7月のこと。「ギョクモト」名義のパスポートでカンボジアからタイへ入国した際、密告により「夕マモト」であることを知ったタイ警察に身柄を拘束されたのだ。タイ警察に密告したのは、玉本敏雄を追っていた日本人記者だった。

玉本敏雄はタイで「永久追放処分」を受けているため、当然、逮捕となった。この逮捕により、カンボジアに住んでいた彼が「ギョクモト」名義で頻繁にタイに出入りしていたことが発覚。さらに、カンボジア北西部シェムリアップ近郊で、10代の地元女性17人と同棲生活を送っていたことも判明した。

チェンマイハーレム事件から30年後、玉本敏雄はカンボジアで再びハーレムを築いていたのである。結局、彼はカンボジア当局からも国外追放を食らい、またしても日本へ送り返されてしまった。その後の行方はわからないが、もし存命ならば現在82歳(2016年12月の時点で)。今もアジアのどこかで若い娘たちに囲まれているのだろうか・・・。

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