うつ病も発症…町亞聖の10年間に及ぶ壮絶な“介護生活”

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元日本テレビアナウンサーで、現フリーアナウンサーの町亞聖。

町亞聖の人生は「壮絶」と言っても過言ではないかもしれない。

10代から母親の介護にすべてを捧げ、愛するアナウンサーからの異動により“うつ病”を発症・・・。

それでも町亞聖は人生を歩み続ける。

今回は町亞聖の壮絶な“介護生活”についてまとめた。

町亞聖、10年間の介護生活とうつ病から“手に入れたモノ”

町亞聖のプロフィール

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町亞聖(まち あせい、本名:同じ、1971年8月3日 – )は、埼玉県蕨市出身のフリーアナウンサー。元日本テレビ社員(報道局記者、報道キャスター、アナウンサー)。

来歴・人物
与論島出身の父を持ち、たびたびハーフと間違えられて育った。亞聖という名は父の命名で、聖人に次ぐ第2の君子を意味する。浦和市立高等学校(現:さいたま市立浦和高等学校)卒業。在学中、野球部が夏の甲子園に出場した際、チアリーダー部員として応援した。身長162cm。

高校3年の時に母親がくも膜下出血で倒れ、それが原因で認知症になり、以後10年にわたり母親の介護をしていた。その間母親の介護のほか、妹弟の世話や家族が住むマンションのローン返済も担っていたという。その介護の経験を生かして、介護の本の執筆やうつ病・認知症に関するラジオの番組を精力的に行っている。

高校卒業後、一浪を経て、立教大学文学部英米文学科に進学(徳光和夫、豊田順子は先輩にあたる)。大学生時代、雑誌『ホットドッグ・プレス』に登場してプライベートな経験をあからさまに語ったことがある。

立大卒業後、1995年日テレにアナウンサーとして入社。同期入社は矢島学(同局アナウンサー)、魚住りえ(現フリーアナウンサー)、近野宏明(同局記者)。後に報道局社会部に異動。悠仁親王誕生の際には他局に先駆けて第一報を伝えた。

2011年5月31日付で日本テレビ退社。ホリプロに所属して、フリーアナウンサーとして仕事を続ける。同年6月11日に日比谷野外音楽堂で行われたパープルリボンウォークの総合司会として参加した。

2014年4月より、しんぶん赤旗日曜版に「リレーエッセー・風の色」の連載開始。月1回の担当で、他の執筆陣は今井美月(翻訳者・ライター)、北尾まどか(女流棋士)、露の団姫(落語家・天台宗僧侶)、冨士眞奈美(女優)。

引用:Wikipedia 

 

Focus 1: 「10代から介護生活」という壮絶な人生

突然始まった町亞聖の“介護”(本人談)

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母がくも膜下出血で倒れたのは私が18歳の時、高校3年の冬でした。母はまだ40歳。本当に突然で一時は心臓も呼吸も止まり生死の境を彷徨いましたが、なんとか一命はとりとめました。ですが言語障害、右半身マヒ、知能の低下という重い障害が残ってしまいました。まだ弟は中学3年生、妹は小学6年生。私が母親代わりをやらなければならなくなったわけですが、全てを投げ出して逃げ出すには私も幼く、他に選択肢はありませんでした。介護保険制度もなく家族が介護をやるのが当たり前の時代。まして10代で介護をしている友人がいるわけはなく、相談する窓口などもなく。。。全てが手探りでまるで出口の無いトンネルに迷い込んだようでした。

共働きだった我が家の一本の柱がなくなり、更に母の医療費がのしかかり家計は火の車でした。家賃や光熱費を翌月にまわしたり。。。なんとか遣り繰りしながらの生活で、私が働きながら母の介護をした方が良いと言う親戚もいましたが、父が”大学には行って欲しい”と後押ししてくれました。

今思えばあの時に進学を諦めなくて本当に良かったと思います。一浪することになりましたが、もし生活の全てが母の介護だけになっていたら心の余裕を持って弟妹の面倒をみられなかったでしょう。何より大学に行っていなければアナウンサーにはなれませんでした。経済的、時間的余裕はなく、勉強、家事、介護と浪人中も大学4年間もあっという間に過ぎていきましたが、失ったものよりも得たものの方が沢山あり、学生時代を家族に捧げたことに悔いはありません。

ソース: クリニコ

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Focus 2: およそ15年にも及んだ町亞聖の介護生活

 

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町亞聖の介護の様子は上記のソースをご確認頂ければ幸いだが、その期間は15年にも及ぶことになる。

が、それだけの介護ができた要因は町亞聖がもつ母への愛といえよう。本人が介護において「失ったものより得たものが大きい」というように、介護が町亞聖を強くしたのかもしれない。

すべてを介護に捧げた町亞聖だったが、やがて母は他界。これにショックを受けた町亞聖だったが、更なる介護生活がスタートしようとしていた。そう、妻を失ったショックから、町亞聖の父親も介護せざるを得なくなったのである。

父親は胃がんをはじめ、うつ病、アルコール依存症を発症。その後は介護生活となり、町亜聖が母親に引き続き介護をすることとなった。

そして、母の死から約5年後、父親も他界。

これを「壮絶な人生」と表していいのかはわからないが、自分のプライベートを犠牲にして介護せざるを得なかった町亞聖の人生は苦悩の日々だったことだろう。


 

Focus 3: 介護と異動でうつ病になった過去

 

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町亞聖といえば、元日本テレビのアナウンサーとして有名。名前が個性的ということもあり、自然と記憶されるアナウンサーの一人だった。

町亞聖はアナウンサーとしての職業を誇りに思っていたが、ある日突然、アシスタントプロデューサーに異動となってしまう。こだわり続けていたアナウンサーからの異動は、町亞聖を苦しめることとなる。

それはただでさえ介護で疲れていた町亞聖に追い打ちでしかなかった。

これが原因で町亞聖は“うつ病”を発症。要因はいくつか考えられるようだが、介護が原因というよりも、アシスタントプロデューサーへの異動が主な原因だったという。

うつ病にも苦しめられることとなった町亞聖だったが、それをタレントの大竹まことが救ったという情報がある。真意のほどは確かでないが、芸能界にも救いの手を差し伸べる良心あるタレントが存在するということだ。

町亞聖 「10年間の介護体験談」

最後に町亞聖の介護体験談が書かれた記事を掲載させていただく。

以下の記事を拝見すれば、町亞聖の10年間介護とアナウンサーへの情熱がよくわかるはずだ。

【町亞聖】10年間の介護体験を上梓

 フリーアナウンサーになって3年目。

 テレビ、ラジオでMCやキャスターを務める傍ら、先月上梓したのが、『十年介護』(小学館文庫)だ。2年前に別の出版社から出した単行本『十八歳からの十年介護』を文庫化。当時は元女子アナの告白などと報じられたが、出版社が倒産、絶版状態になっていた。

 「もう一度出版できてすごくうれしいです。絶版のままだったら、こうして新たに取材を受けることもなかったでしょう」

 本書に綴られた介護体験に、文庫解説を託された大先輩、徳光和夫さんは「泣いた」という。







 青春真っ盛りの18歳から、くも膜下出血で倒れた母・広美さんの介護を始めた。介護は、広美さんが、がんを患い49歳の若さで亡くなるまで10年続いた。その5年後には父親も亡くなり、介護、看取りの全てを体験した。

 本書は、新たに稿を起こして、自らの仕事への思いも綴っている。

 「もう人事異動もありません」と笑う。

 日本テレビに入社し、学生時代から志望したアナウンサーに。そして報道記者へ。記者としては、医療の取材などで成果もあげた。しかし、裏方であるアシスタントプロデューサーに異動すると、うつ10+ 件気味になり会社を休んだこともあったという。結局「伝える仕事がしたい」と局を辞め、フリーアナの道を選んだ。

 伝えることに対する思いは強かった。

 介護の話に戻る。母・広美さんには右半身麻痺の重い障害が残った。

 一浪して立教大学に入学。しかし、普通の学生の暮らしはなく、アルバイトを終えれば、すぐに帰宅。広美さんの身の回りの世話を続け、やがて車椅子を押して、障害者同士の交流の場にも行くようになった。それが将来を決めた。

 「車椅子で外出すると、段差などがあったりして、何が不都合なのかが分かるんです。私もそうでしたが、世の中、そういうことを知らない人がいます。障害があっても当たり前に暮らせるようにしたい。そのためにはなにが不都合で、どう変えて欲しいのかなど、その声を伝えていくことだと思いました」

 そのために選んだのがアナウンサーだった。

 「母には本当にいっぱい教わりました。(障害者の苦しみに)気づくことが大事で、気づいてから学ぶこともあって、医療・福祉で、頑張っている先生たちもいることを知りました」

 実は、筆者の知人が3年前にALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患した。遠かった難病が身近に迫った。その知人の支援者に誘われ春先に開かれたハイテク支援機器のイベント「ITパラリンピック2013」に出向くと、イベントの司会者を町さんが務めていた。もし、自分や家族が障害を負ったらどうするか。

 「障害者になったことを受け入れられずに、嘆いていることが不幸。それには時間も必要ですが、いつまでも受け入れられないでいると自分を不幸に追い込んでしまいます。泣いても1日、笑っても1日。それだったら笑っていよう。母の笑顔を見たいという一心でいました」

 体験談は続く。

 「父はいつまでも自分の運命、母のことを悔やんでいました。なぜそういう人生になったのかを考えても答えは出ません。大切なのは、いかに次のステージに行くか、ということなんです。支援のサポートもありますから、一人じゃないことに気がついてほしいのです」

 父母を看取り苦闘は終わったが、「これからも伝える役目があると思います」と、ライフワークとして医療や介護に向き合う。

 「私たちみたいに、母を失ってから、ああしておけばよかったと気がつくのではなく、本を読んだり、人に話を聞いたり、その前に気づくチャンスはあります。自分が直面してからでは、最善の選択はできませんから」

 もしフリーにならなければ、出版はなかった。

 「これまでの人生で無駄なものはないと思っています。フリーアナは厳しい世界ですが、息長く仕事をしていくのが目標です」

 母を励まし続けたであろう、笑顔がはじけた。(ペン・竹縄昌 カメラ・桐原正道)

ソース: ZakZak

 

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