葛西紀明、“レジェンド”への飛翔と壮絶な過去

40代で銀メダルは偉業である。

“レジェンド”と呼ばれる葛西紀明の
表彰台で見せた最高の笑顔とガッツポーズは感慨深いものがあった。

誰もが“レジェンド”と認める葛西だが、
今日までそれは想像を絶するような過去がある。

諦めずに現実を見つめ
常に跳び続けてきた男の半生を紹介したい。

難病の妹に捧げる“金メダル”にこだわり続けてきた

葛西には姉と妹がいる。

1993年、その妹が“再生不良性貧血”という難病を患う。
翌年にはリレハンメル五輪という時期だった。

相当なショックを抱えていたことは言うまでもない。
だが、葛西がとった行動はどこまでもポジティブだった。

彼は妹を支えるために
五輪で金メダルを獲得することを誓ったのである。

彼が常に跳び続ける原動力は
紛れもなく妹を支える気持ちに違いない。

現在も妹は治療を続けており、
ドナー提供を待ちながらの闘病生活を送っている。

ケガ、再起、そしてケガ…

葛西が持つジャンプへの情熱は高まるばかりだった。
しかし、挑んだ1994年の大会で転倒。

これにより鎖骨骨折。
完治するまではまったく跳ぶことができない日々を送る。

完治した彼は跳べなかった期間を一気に埋めるかのように
冬ではない夏に900本も跳んだ。

当然、夏は本番とは言えないので、
本来であれば300本も跳べば上出来という見方だ。

だが、夏に900本跳んだという事実には、
並ならぬ再起への姿勢が感じられる。

こうして調子は上向いていくかに思えたが、
またしても冬に足を骨折してしまう。


さらなる不幸“火事で母親を亡くす”

スポーツ選手にとってケガほど辛いものはない。
精神的にも大分落ち込んでいたことだろう。







だが、不幸はさらに続くことになる。

実家が放火されたことで、
母親が全身火傷の重傷を負ってしまう。

一命は取りとめたものの、
その火傷は内臓にまで達していた。

幾度となく治療は続けられたが、
その甲斐むなしく、1997年5月に亡くなった。

妹の難病、自身のケガ
さらに追い討ちをかけるように母親の死。

まさに“どん底”状態だったはずだ。

跳ぶことを諦めても不思議ではない。
そして誰も彼を責める者はいない。

だが、彼はジャンプをやめなかった。
それは“母親からの手紙”があったからだろう。

母からの手紙には次のように書かれていたという。

「いまこの時を頑張れ。絶対におまえは世界一になれる。お前がどん底から這い上がってくるのを楽しみに待っているよ。」

そして、葛西は飛翔の時をむかえる。

ソチ五輪ラージヒル個人で銀メダル獲得!!

 

彼が抱えてきたものは
我々が想像できるものではない。

目標の金メダルには届かなったが、
彼は銀メダルに大満足の様子だった。

嬉しさを爆発させたのは

今日まで歩んできた道が
間違っていなかったという喜びにもとれる。

もっとも印象的だったのは、
報道者から問われた“長く続けられる理由”へのアンサーだ。

「特にないんだけど・・・あえて言えば、(五輪で)6回も悔しい思いをしていることかな」

苦労を経験し、常に努力する人間は強い。
才能がすべてだったら、スポーツに魅力は半減するだけだ。

彼はジャンパーとして“レジェンド”であるとともに、
人間としても“レジェンド”になることだろう。

彼は体力の限界を感じるまで跳び続けるのだろう。

また新たな記録が生まれる日がやってくるかもしれない。

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